「自分の葬式をフェスにする」——ビートボクサーから経営者へ。BAR111・吉木哲彦が作る”誰でも表現できる場所”
広島市中区・流川。朝まで楽しめるENTERTAINMENT SOUND BAR 111(エンターテインメントサウンドバー イチイチチ)には、DJブース、カラオケ、ダーツが揃い、週末の昼間はイベント予約でほぼ埋まっているという。
この店を率いる株式会社Shake Hands代表・吉木哲彦さんのキャリアは、一風変わっている。ヒューマンビートボックスを追いかけて大阪へ、マリーナホップのストリートパフォーマー、携帯ショップ店員——そして「客として通っていたバー」のスタッフになり、店長、マネージャー、雇われ社長を経て、ついには会社そのものを買い取った。
「僕、商売人ではないんですよ」と笑う吉木さんが本当に目指しているものは何なのか。じっくり伺った。
-1024x576.jpeg)
プロフィール
-1024x576.jpeg)
吉木 哲彦(よしき・てつひこ)
株式会社Shake Hands 代表。
1984年3月生まれ、42歳。広島県海田町育ち。ヒューマンビートボクサーとしての活動を経て、広島市中区・流川の「ENTERTAINMENT SOUND BAR 111」を運営。会場レンタル(1時間3,000円)で「誰でも気軽にイベントを開ける場所」を提供している。
店舗サイト:https://bar111.jp/
ビートボックスを追いかけて大阪へ——異色の20代
——まずは、これまでの歩みを教えてください。
1984年3月生まれで、今42歳です。僕の生い立ちとしては広島県の海田町育ちです。生まれはちょっと違うんですけど、生まれた次の日に海田町に引っ越したらしいので、ずっと海田になります。海田小学校、海田西中学校、海田高校と、学校がだんだん近くなるというところに住んでいて。
高校卒業後は1年間浪人をして大学に一応入ったんですけど、大学は2ヶ月しか行ってないんです。
そこから大阪に1年間いたんです。きっかけは、僕ずっとヒューマンビートボックスをやっていて、日本で初めてヒューマンビートボックスのイベントが大阪であるっていうのを聞いて、大阪に行きました。そうしたら「今から月に1回、毎月このイベントやります」って聞いて、「じゃあ帰らなくていいか」ってなって、1年間そのまま大阪に住んでいました。
——広島に戻られてからは?
大阪から帰ってきた時に、ちょうどマリーナホップがオープンしたんですよ。オープニングイベントにヒューマンビートボックスで呼んでいただいて、そこからオープニングイベントが終わっても「毎週土日、あと祝日、ストリートパフォーマーとしてほしい」ということで、ストリートパフォーマーとして1年間通いました。
マリーナホップのイベントが終わってからは、しばらくちゃんと働いてはいなくて。たまたま求人で見つけたソフトバンクショップの募集に応募して働くようになって、そこに4年間いました。その時、お客様満足度で全国に入るという成績をいただいて。ただお客さんと仲が良かったっていうだけなんですけど(笑)。
「しょっちゅうおるんだったら働けば」——客からスタッフ、そして経営者へ
——そこからどうやって今の「111」につながるんですか?
ちょっと体調を崩してしまってソフトバンクを辞めたんですけど、辞めてしばらくして動けるようになってから、よく遊びに行ってたバーがあって。それがここの原点になるバーだったんですよ。今は大きな店をやってるんですけど、その前にちっちゃい店があって、もともとそこのお客さんとして遊びに行ってました。
その時は働いてなかったんですけど、「しょっちゅうおるんだったら働けば」ってなって、働くようになって。その時は僕の友達が店長してて、そいつが先に辞めちゃって、店長になったみたいな感じで。
アルバイト、社員の店長、店長からマネージャーっていう流れがありました。
マネージャーっていう立場になる時に、このENTERTAINMENT SOUND BAR 111をオープンしました。ここがちょうど今9年になります。その時、雇われでしたけど、結構僕の思いを乗せて作ってもらって。
-1024x576.jpeg)
——「思い」というのは?
僕はヒューマンビートボックスをやってる時に、とあるダンサーと出会ったんですよ。ダンサーと一緒にチームを組んで、今もそのチームが継続してあるんですけど、そのチームでまず、本川町にLinkroomというスタジオを作りました。
きっかけは「夏は外は暑いし冬は寒いけぇ、秘密基地みたいなところを作ろう」っていうのが最初だったんですけど、スタジオを作って「人に貸すのがいいね、じゃあ誰でも気軽に使えるようにしよう」っていう思いで作ったのがLinkroomでした。
その延長線上に割とここがあって。「じゃあ今度は、誰でも気軽に表現できる場所を作りたい」という思いがあって、ここを作りました。なので普段はバー営業なんですけど、会場のレンタルをしています。
1時間3,000円という低価格で、誰でも気軽にイベントを開けるという価格帯で出させてもらっています。
——そこから会社を買い取るまでの経緯は?
9年前にオープンして、ずっと雇われでやったんですけど、マネージャーの時に、ここの111とかつての111の2店舗を同時に営業していました。で、ご飯屋さんが2店舗あって、鉄板焼き屋と居酒屋がありました。なので4店舗見てたんですけど、このバーの部門とご飯屋さんの部門で会社を分けようとなったんです。
会社を分けようとなった時に、バー部門の雇われの社長になったんです。それが5年前の4月なんですけど、半年ぐらいやって、「社長って言っても雇われだとあれだな」と思って。
当時、会社は3人の共同出資だったため、オーナーという立場の人が3人いました。
オーナーに「会社を他の方にやっていただくか、会社を買わせてください」という話をして、3人誰も反対することなく結構すんなり会社を買い取ることになりました。
話をして割とすぐだったので、年明けから名義が変わったという感じで、今4年と7ヶ月になります。
-1024x576.jpeg)
目的は店じゃない。「相手を喜ばせたい」
——最初から飲食店をやりたいという気持ちではなかったんですね!
全然そうです。目的は全然違うところにあって。お店を開いた時も「誰でも気軽に表現できる場所」という思いですし、結局何が目的かというと、相手を喜ばせたい、喜んでもらいたいというところなんです。なので、別にこの仕事じゃなくても同じスタンスでやっていると思います。手段の一つとしてここをやっているという感じです。
——店長、雇われ社長、買い取り……その都度、乗り越えなければいけない壁みたいなものがあったのかなと思うのですが、一番大変だったことは?
この瞬間瞬間ではあったんだと思うんですけど、パッと今聞かれると何かっていうのが出てこないんですよね。
——振り返ると全部いい経験だった?
そうですね。何か後悔してるってことが一つもないし。ただ、考え方が変わったっていうところは色んな瞬間であって。「考えていない」ところから「考えている」状態になったというところですよね。
マネージャーだった時と雇われの社長だった時って、ぶっちゃけ何にも変わってないんですよ、やることに関しては。マネージャーの時も会社全体の経理とかをやってたし。
買い取ってからは、やっぱりそこの覚悟というのがあるので。何かあったらもちろん、自分がケツを拭くこととなる。その覚悟の部分が変わったのかな。割と僕は心軽くやっていますけど。
スタッフが一人も「飛んだ」ことがない店
——今、悩んでいることや抱えている問題はありますか?
「どんな出来事があっても、こういうことってあるよね」というふうに思ってて。こういう業界だと「スタッフが飛ぶ」とか聞くじゃないですか。うちのスタッフは一人も飛んだことはないです。価値観や考え方の不一致で辞めさせざるを得ないということはありますが。
じゃあ今付き合いがないかというと、全然付き合いがあって。「あの時はこういう思いで話してたし」という話が今だったらできるとか。こちらも遊びに行くし、あちらも遊びに来るしっていう、良好な関係が続いています。
——それは何か秘訣というか、「こういうふうにやってきたから」というのはありますか?
そうですね。僕は物事を「良い悪い」で捉えないんですよ。「合う合わない」で捉えてるところがあって。
「そのやり方が悪いとは思わないけど、このお店のやり方ではない」。本当に悪いことじゃない、合うか合わないかって話をしている、ということを伝えるんですよね。
あと、相手が何を話しているか、何を求めているかっていうのも否定することはないですね。「そういう思いを持っているんだね」という目線で話します。ただ「その目的・目標に行くんだったら、その行動は違うんじゃない?」と話すことはあります。
——それも確かに「合う合わない」ってところですね。
-1024x576.jpeg)
「手法」ではなく「在り方」を伝える
——これまで挑戦し続けてこられた中で、支えになった出来事や人はいますか?
師匠みたいな人がいるんですね。全て受け止めてくれるわけではないんですけど、「どうやったらより豊かに過ごせるか」みたいな。その人の「教え」っていうわけではないんですよね。一対一で話をした時に、自分対自分で話をしているみたいな感じで。
「あなたはこう言ってるよ」っていうのを——自分自身で言葉にできてなかったことを言葉にしてくれる。その師匠にすごく助けられましたね。今でも凄く助けられている、師匠であり親友です。
——具体的にどういうことで相談することが多かったんですか?
対僕として直接自分の身にふりかかっている事というよりは、スタッフ同士の何かで「こういう問題を抱えている」という時の動き方ですね。
「解決するためにこうやってみて」というのは簡単ですが、せっかく考えられる力を持っているのに、自分が出すぎてその機会を奪ってしまってもいけないし、かといって問題を大きくしてはならないし、なかなかバランスが難しいと感じました。
そこで意識したのが、単なる「手法」を教えるのをやめることでした。
何か問題が起きたときに「じゃあ、こうやってみて」と具体的な解決策を提示するのは簡単なんですよね。
「こうやったら解決できると思う」というのは簡単ですが、それでは問題が起こるたびに僕が答えを出し続けなければならず、キリがありません。だからこそ、小手先のやり方ではなく、「あり方」そのものをどう伝えられるか、今でも意識しています。
「どうしたらいいですか?」という問いに対しては、「どうしたらいいと思う?」と、まず自分で考えてもらうということと。
あと、人って結構問題が大きくなってから言ってくることが多いんですよね。報連相の「報告」「連絡」をすっ飛ばして、いきなり「相談」を持ってくるというパターンが少なくないので、まずは手前の段階で「現状がどうなっているか」を報告してほしいと伝えるようになりました。
「今こういう状況で、少し問題はありますが、これからこう対処していくので大丈夫です」と、スタッフ自身が経過を把握し、自発的に動ける状態を目指すこと。
今僕が実践していることとしてはそうですね。
-1024x576.jpeg)
平日の昼間をどう埋めるか——そして「自分が入らない店」へ
——今、具体的に実践されていることや、これから挑戦されていることを教えてください。
おかげさまで、土日祝の昼間のご予約は、年間を通してほぼ100%埋まっている状態です。ただ、平日の昼間のご予約はやはりまだ少ないのが現状ですね。
そもそも「お昼の時間帯に、うちのスペースで一体何ができるのか」という点ですが、例えばモデルさんの撮影会や、オフ会、あるいは講演会のようなイベントが挙げられます。
うちで一番多いのはDJイベントなんですけど、やっぱり平日の昼間にはそうしたイベントはなかなか開催されません。
そのため、「平日の昼間をどうやったら活用してもらえるか」という点が、直近でまさに動いている課題ですね。
そして平日の昼間の次は、平日の夜のご利用をどう増やすかというところです。
実は1年ほど前から、僕は夜の現場(オペレーション)にはほとんど入らなくなりました。その分、色々な経営者の方々が集まる会に参加するようになったんですけど、そこで新しくつながった方々からのご紹介を通じて、平日の昼間を利用していただけるような流れを作れればいいな、という想いで動いています。
さらに、もう一つの挑戦として、平日の昼間にスペースを使っていただけるようになった際、現状は僕が時々現場のオペレーションに入ることがあるのですが、そこも僕が入らなくて済むような体制を作りたいと考えています。近い未来の目標はそこですね。
一番遠い目標は「自分の葬式をフェスにする」
——一番遠いところの目標は?
僕が死んだ時に、フェスをするという目標です。
自分のお葬式をフェスにしたいっていうのが、自分のこの身の最終的な目標です。
そこに向かって何をしてるかっていうと、具体的に別にないんですけど(笑)。
そのフェスをするにあたって、やっぱりたくさんの人が要る。けど「たくさんの人が居た」だけではなくて、僕のことを大切だと思ってくれる人たちに参加してもらいたいと思っています。
「一緒に老人ホーム入っててもいいよね」みたいな仲間たちが将来的にできた上で、葬式でフェスをするっていうところを目標としています。
——すごい、面白いです。初めて聞きました。
-1024x576.jpeg)
応援したい人へ——「ここ (111) で仲良くなってください」
——この記事を見て「応援したい」と思った方に、どういう行動をしてもらうと嬉しいですか?
もちろんお店を使っていただく。お店の空いてる時間をどんどん減らしていく。っていうのはビジネス的な目標ではあるんですけど、
例えば「ここに来たら誰かとつながれるよね」とか、「ここに来て相談したら解決できるよね」っていう空間を作りたいという想いが根本にはあります。そこに参加してほしいというか——そうですね、「ここ(111)で仲良くなってください」っていうところかな。
何かお困り事があったら、ここで直接解決できなくても、解決できる人をご紹介できます。「なにかあったら頼れる場所」として、ここ(111)をどんどん活用してもらえることが嬉しいです。
挑戦する人へのメッセージ——「人生を映画の脚本にする」
——最後に、同じようにチャレンジしている人に向けて、メッセージをいただけますか。
僕がやっていることの一つがあって、「100歳までの人生をどう生きるか」を書いてるんですよ。
「人間関係・仕事・生活環境は45歳でどうなっている? 50歳では?55歳・60歳では?」と、それを100歳まで書いてるんですけど、これって「絶対に叶えなきゃいけないノルマ」ではないんですよね。
自分の人生を映画にするならどんな脚本がいいか——どういう人生を歩んでいたら自分がより幸せだろうか、楽しいだろうかっていうのをワクワク想像しながら書いてるんです。
近い未来のことは具体的な目標が出てきますし、遠い未来なら「葬式をフェスにする」といった大きな野望もあります。もちろん、今の自分には想像できないこともたくさんあります。
ただ、そうやって文字にしたり言葉にして、「自分にも他人にも見える化」しておくと、めちゃめちゃ叶いやすくなるんですよね。
45歳の目標としていたことがもう前倒しで叶っちゃったということもあります(笑)
「自分には夢がない」と思っている方もいらっしゃると思うんですよ。でも「美味しいもの食べたい」とか「ゆっくりしたい」だって、立派な夢なんです。「夢なんて叶わない」と諦めずに、自分の大切な望みとして言葉にし、発信してみてほしいなと思います。
-1024x576.jpeg)
編集後記
紹介で訪れたBAR111で出会った吉木さん。
経歴や思いなどお話を聞けば聞くほど面白く、つい長くお話ししてしまいました。笑
「人生というライブステージを、いかに人と楽しく遊べる場所にするか」
そんなスタンスを感じ、憧れとワクワクをいただくことが出来ました!
多才で柔軟性のある魅力的なお兄さんで、様々なご経験から色んな方に喜んでもらえる取り組みをこれから続けられるのだろうなと思います。
UNDERDOGSとして吉木さんと111の挑戦を応援し続けてまいります!
この度は取材のご協力、ありがとうございました!!
編集長 太田 悠斗
ENTERTAINMENT SOUND BAR 111
- 住所
- 〒730-0028 広島県広島市中区流川町4−8 TAKAビル 3F
広島発・挑戦応援メディア