123年続く会社の5代目が守る、「懐かしい」が集まる場所と味 ― 甘党はち乃木・奥村大祐さん
店 — お店の挑戦

123年続く会社の5代目が守る、「懐かしい」が集まる場所と味 ― 甘党はち乃木・奥村大祐さん

広島の中央通りで昭和33年に開業し、かき氷やあんみつ、ぜんざい、わらびもちなど、和の甘味で長く愛されてきた甘味処「甘党はち乃木」。一度は店を閉じたものの、2024年1月、上八丁堀の地で実店舗として復活を果たした。

運営するのは、創業123年を数える有限会社角丸堂。その5代目・奥村大祐さんに、受け継いだ味への思い、継承の苦労、そしてこれからの挑戦について話を聞いた。

昭和33年から変わらない、和の甘味を作り続ける

――まずは、会社とお店についてお聞かせください。

有限会社カクマル堂の奥村大祐と申します。会社としては123年目になりまして、今のメインの事業が「甘党はち乃木」というお店です。昭和33年開業のお店で、そこで作っているかき氷やあんみつ、ぜんざい、わらびもちといった、主に和風のお菓子を製造して販売しています。

――お店のエリアや、お客様の層についても教えてください。

今は上八丁堀に店舗を構えています。

もともとは八丁堀という、広島の街のど真ん中にお店があったのがスタートです。

お客さんは40代から60代くらいの女性の方が一番多いんですが、「昔、喫茶店に通ってたよ」という方が今の主なお客さんですね。昔は喫茶店の営業だけで、かき氷や宇治抹茶、それから鍋焼きうどんなどを提供していました。

甘党はち乃木地図

「四角いものを売って、丸いお金をもらう」― 絵はがき屋から始まった123年

――カクマル堂という社名には、どんな由来があるのでしょうか。

もともとは絵はがきの販売をしていた会社なんです。「四角いものを売って、丸いお金をもらう」ということで、当時、記号の四角と丸で表記していたのが「カクマル堂」という社名の由来です。

昔でいうと絵はがきというのは、兵隊さんが故郷の家族に向けて手紙を出すためのものでした。当時は携帯なんてないですから、思いを伝えるツールとしての絵はがきを扱っていた会社なんですね。だから理念みたいな深いところでは、「思いをつなげる」ということが昔からあったんじゃないかなと感じています。

カクマル堂は明治37年より絵葉書出版卸業としてスタート

「材料を変えるな、取引先を変えるな」― お客さんとの約束を守り続ける

――商品作りやお店作りで大事にされていること、こだわりを教えてください。

僕はじいちゃんばあちゃんがずっとやっていたお店の孫にあたるので、引き継ぐにあたって一番大事にしているのは「味を変えない」ということです。これはすごく言われていました。

材料にはいろんな業者さんがあって、例えば砂糖ひとつにしてもいろんなものがあります。でも、それを変えちゃうと味が変わってしまう。それはお客さんの知っている味じゃなくなるということなんです。だから、値段が時代によって多少上がったりしても、とにかく材料を変えるな、取引先を変えるなと。

今にして思うと、それは取引先と信頼関係を作るということでもあるし、お客さんとの約束をすごく大切にするということだったんだなと思っています。今来られるお客さんも「うわ、懐かしい」っておっしゃるんですね。その「懐かしい」と言ってもらえるためには、味が変わっていないことがすごく大事で、その思い出にこそすごく価値があるんじゃないかなと考えています。

こだわりの製法で作る粒あん

新しい人よりもまず、昔からのお客さんに届けたい

――今、一番難しいと感じている部分はどこですか。

当時のお客様は「高校の時に通ってたんよ」という方が多くて、その方々が60代以降の年齢になってきています。そうなると、SNSで発信しても、その方たちはSNSをやっていない。そこがすごく難しいなと感じるところです。

SNSでの発信も大事なんですけど、昔から知ってもらっているお客さんに届くようにするためにも、いろんなメディアを活用したり、メディアに取り上げてもらえるようなことを作り出していく必要があるのかなと。なので、どちらかというと新しい人に向けての取り組みを一生懸命やるというよりは、昔からのお客さんを大切にしながら、少しずつ知ってもらうきっかけや機会を作っていくことに取り組んでいきたいと思っています。

商品を売るのではなく、商品を通じてつながりを作る

――長く続けてこられた中で、この街や広島に対する思いはありますか。

もともと会社が今の中央通りに位置していた関係で、今も商店街の理事になっているんですが、地元の街そのものが活性化していく、にぎわいが生まれるということは、商売をして生きていくこととほぼ同じことだと思っています。

自分たちだけがどうにかなればいい、ということをやっていても、あんまり面白みはないなと感じていて。地元の人たちに支えてもらったことを何かしらでお返ししていくことが、ひいては街を守り続けることにもなるし、お客さんの信頼を守っていくことにもなる。

商品をただ売るというよりも、商品を通じてつながりを作るとか、交流を広げるとか、そういうことを仕事としてやっていく。むしろ、そういうことをやってきたからこそ、120年を超えるような歴史の長い会社になれたのかなと思っています。

「白玉2倍の宇治金時」が食べられなくなるのは、嫌だった

――奥村さんは何代目にあたるのでしょうか。また、継ごうと思ったきっかけを教えてください。

会社でいうと僕は5代目になります。はち乃木の創業は、僕から言うとひいおじいちゃんです。

僕がここを継ごうと思ったきっかけは、最初から「継げ」と言われていたわけではなくて。祖母がずっと経営をしていたんですが、じいちゃんが体調を崩して、お店を続けるか続けないかという話が出てきたんです。その時に、小さい頃から食べさせてもらっていたこのお店のかき氷や鍋焼きうどんが、今後一生食べられなくなるかもしれないと思って。「あれが食べられなくなるのは、なんか嫌だな」というのが、僕の一番大きいきっかけでした。

僕は昔から、宇治金時というかき氷を「白玉2倍で」って頼んでいたんですよ。白玉団子が乗ったかき氷が大好きで。あとで知ったんですけど、あの白玉、職人さんが一個一個丸めて作ってるんです。当時はそんな手間がかかっているものとは知らないから、気軽に2倍盛りの白玉団子が乗ったかき氷を、ぜいたくに食べさせてもらっていたんですよね。

自分をすごく大切にしてもらった。そのことが結局、今こうして引き継ぐという結果を起こしたんだと思います。だから、自分が仕事としてやりたいのは、そういうことを作り出していくこと。それがある意味、会社としての仕事であり、自分自身がやりたい仕事なのかなと思っています。

人の問題は、結局「自分の器」の問題だった

――引き継ぐ中で、難しかった場面を具体的に教えてください。

「継ぐぞ」と意気込んで帰ってきたというよりは、「辞めるんだったらもったいないからやろうかな」くらいの、わりと気楽な気持ちで帰ってきたんです。でも現実問題として、僕以外は、僕が小さい頃から勤めている70代後半の方ばかり。技術の承継をどうするんだとか、自分自身も経営者としてまず何をやったらいいんだ、売り上げってどう作ればいいんだとか、まったく何も分からないところからのスタートでした。

いろいろやる中で、やっぱり「人の問題」が一番難しいところだなと思いました。雇っては辞め、雇っては辞め、ということも経験しています。その時は分からなかったんですけど、今にして思うと、やっぱり自分自身の器の問題だなとすごく感じていて。その人に対してもっと何かできたんじゃないか、ということを当時はあまり考えていませんでした。

普通に考えると、70代の人ばかりがいる職場にぽんと入ってきて、「将来の会社の技術を継承するために頑張ってもらわないとね」みたいな環境に置かれたら、なかなか難しいですよね。逆に、それを「やりたい」と思ってもらうにはどんなことが必要なんだろうか、快適に過ごせる職場環境はどうやったら作れるだろうか。だんだん、そういうところを考えるようになってきたと思います。

粒あんのプライドを、年中暑い国へ

――これからの挑戦として、考えていることはありますか。

かき氷作りで夏は忙しいけれど、冬はぼちぼち、というのが課題のひとつとしてあります。夏だけじゃなくて、年中通して仕事があるようにしていきたいと考えたときに、ひとつは国内だけじゃなく、海外の販路を広げていけないかなと思っています。

日本には四季がありますけど、年中暑い国もあるんですよね。そういうところに持っていけるポテンシャルのある商品もあるなと。特にかき氷はすごく面白い、あまりない商品だと思っています。

それから、粒あんへのこだわりはすごくあって。「こしあんが欲しい」と言われたからといって作るのではなく、うちは粒あんしか作りません、まあ食べてみてください、と言えるくらいのプライドと自信を持っているものなんです。

これを今までの枠だけじゃなくて広げていくことで、年中暑い国にも持っていけるようになったら、年中通して仕事がちゃんと作れて働きやすい環境になるし、広く知ってもらえるきっかけにもなる。そういうことにチャレンジしていきたいと思っています。

商品を買う・買わないだけじゃない、深いおつきあいを

――この記事を読んで応援したいと思った方へ、メッセージをお願いします。

もちろんお店に来ていただくのもありがたいですし、シンプルに言えば、甘党はち乃木やカクマル堂という会社とつながってくださること。「何か一緒にやりましょう」と言ってもらうことだったり、「街のにぎわいづくりを一緒にやりましょう」だったり、本当にどんな形でもいいんです。

一緒に働くという形も含めて、いろんな形があると思うんですけど、そういうつながりを増やしていくことが会社の仕事だと思っています。商品を買う・買わないだけの関係性じゃなくて、深いおつきあいができれば一番いいなと思っております。

人とつながっていれば、どんなチャレンジも解決できるかもしれない

――最後に、同じように挑戦している皆さんへメッセージをお願いします。

うちも歴史は長いとはいえ、そんなに大きい会社ではありません。ある意味、自分たちだけではできないことだらけだなと思うところから、むしろいろんな人とつながって、できることの可能性の無限大さを一緒に作っていけるかなと思っています。

どんなチャレンジでも、人がいれば、人とつながっていれば、解決できるかもしれない。そういうところに立って、「分かんないけどやってみよう」を一緒にやっていける。そういうことを作り出していけたらなと思っています。

メッセージの編集部要約

一人でできないことも、人とのつながりから可能性を広げる。

奥村大祐

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甘党はち乃木

住所
〒730-0012 広島県広島市中区上八丁堀7−9
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EDITOR IN CHIEF / UNDERDOGS CREW
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