半年間、契約ゼロ。スーパーの豆腐コーナーで泣いた男は、広島で起業した。-株式会社ネオネス・居相勇佑さん
岡山県津山市から出てきた青年は、広島で半年間、一件も契約が取れなかった。
仕事帰りのスーパー、豆腐コーナーの前で涙が出た。
それから2年。彼は広島で会社を立ち上げ、ホームページの「作って終わり」に真っ向から異を唱えるサービスを展開している。そして今、"ある事業"で、地元に雇用を生もうとしている。
株式会社ネオネス代表・居相勇佑さんに聞いた。

「作って終わりが、すごい嫌いだったんですよ」──真面目に運用する、という商売
――では改めて、自己紹介と事業内容をお聞かせください。
「株式会社ネオネスの居相勇佑と申します。事業内容は、サブスクでホームページの運用サービスを展開していたりとか、あとは赤飯を販売するという、ちょっと面白い事業をやっております。その他にSNSだったりマーケティングの話があれば対応しているような形ですね」
――ホームページ事業のこだわりはどんなところですか?
「弊社は真面目に運用するというところをモットーにしていまして。要はお客さんのサイトにブログ機能を組み込んで、こちらでブログを回しているような形で、回すために都度連絡を入れているので、お客さんからしても、しっかりやってくれているなと感じてもらえますし。ブログをどんどん投稿していってアクセスを増やす。アクセスが増えたら、おそらく問い合わせも何件か来るだろうっていう、そこをゴールにやってますね」
「ウェブ業界って、お仕事をもらって納品して終わりとか、作って終わるパターンとかあると思うんですけど、僕は作って終わりがすごい嫌いだったんですよ。責任を放置しちゃうっていう感覚で。結局半年後に蓋を開けたら全然サイトも更新されてなくて、他社に埋もれちゃうみたいな。あんな高いの払ったのに、全然問い合わせ来ないじゃん、って。結構多いと思うんですよ」
「だったら僕はサブスクにして、ちょっと違いを見せる。うちはテンプレートを使わない、オリジナルでやります。でもちゃんと伴走して運用していきます。真面目に運用します。お客さんの成果が出るために僕たちは伴走します、を確立させて、それを今売っていっているような形で。実際にキーワードで検索順位が上がったりすると、すごく嬉しいんですよね。やってよかったなと思いますね」
――起業されたのはいつですか?
「昨年の12月からです」
――じゃあ、ここから今、急成長してきている。
「してるはずですけど、どうなんでしょう(笑)」

「全部レールが見えちゃって」──フェラーリのために、銀行を辞めた
――そもそも今の仕事を始めたきっかけは?
「元々、岡山県津山市出身なんですよ。高校卒業して、地元の信用金庫に就職したんです。働いてる中で、2年目で資格を取ったりとかしたんですけど、当時欲しい車があったんですね。車が好きだったんで、フェラーリとか」
「でも今の給料じゃ乗れないと思ったし、たまたま支店長の給与明細を見てしまって。全部レールが見えちゃって。これ絶対(フェラーリに)乗れないじゃないかと思ってしまって。ここにいたら乗れないし、夢が叶わない。いろんなことが相重なって、退職して、自分で起業してこれからメリットのあるような、伸びるような事業をやっていきたいなと」
「それでパッと思いついたのがWebだったんですよ。特にパソコンが好きなわけでもなくて、パッとした思いつきだったんですよ。車を売却して、すぐ退職届を出して、専門学校に行ったんです。実家にいたら(環境を)買えないと思うし、実家はとりあえず出たいなと思って。それで岡山市の専門学校に2年間、そこでみっちり勉強しました」
――そこからどうやって広島へ?
「ウェブ業界の流れをちゃんと知りたいなと思って就職活動をしたんですけど、時期も終わりかけてて。その中でたまたまご紹介いただいたのが、本社岡山のウェブ系の会社で。代表と話して10分で(採用が)決まったんです」
「岡山かと思ってたんですけど、その時に代表から『広島行くって』言われて。『なんでですか?ホームページに載ってないですよ』って聞いたら、『これから出すタイミングなんだよ。営業で開拓してくれ』と。二つ返事で広島に来ました。それが2年前の4月です」
「豆腐コーナーで、うるっときて」──半年間、契約ゼロ
――広島に来てからは、どうでしたか。
「最初、何も取れなかったですね。難しすぎて。信用金庫の時は実家がありますし、地元なんで知ってる方もいるわけですよ。困ったらそこに行けばなんとかなる。広島はそれがなかったんで。飛び込んでも取れないし、テレアポも取れないし。どうしたらいいんだろう?みたいな」
――一番しんどかった時は?
「やっぱり、買い物中に泣いた時ですかね。(広島に)来て5ヶ月目とかなんですよ。こんなに取れないとは、みたいな。やばいぞってなって、さすがに申し訳ないみたいな」
「仕事終わって、スーパーの豆腐コーナーでなんかうるっときて。やばい、クソ迷惑かけてるじゃん、みたいな。会社に。給料ももらってるのに。うわぁ、何も取ってこれない、こんなに苦しむんかよ、みたいな」
「それで翌日に代表が広島に来て、一緒に同行する予定があったんです。その中でポロッと『すみません僕。迷惑しかかけてないです』みたいな。そしたら代表が『気にすんな』みたいな感じで言ってくれて。すごい心が軽くなったっていう。それでその日の帰り道、バリ泣いたっす。泣きながら帰ったっす」
――初めて契約が取れたのは?
「半年後に取れたのが、名刺だったんですよ。名刺のデザイン。3万5千円です。半年間働いて、給料をもらいながら取った金額としてはめちゃくちゃ低い。でも、やっと一件もらえた。お金をいただくことの嬉しさを、痛感しました。信用金庫の時はパカパカ取れてたんで。僕がイキりすぎてたんですね」
「それだったら、まず信頼だなと」──売らない営業で、広島を開拓した
――そこから、どう向き合っていったんですか。
「最初は数をこなしてたんですよ。こなしてたんですけど、埒があかないなと思って。その中で話すきっかけになった方がいて、『広島って難しいところだよね』って、文化的に言われるじゃないですか。それを知って、それだったらまず信頼だなと」
「僕、信用金庫の時にすごい信頼から入ってたんで。まずお客様と仲良くなって、そこから課題を掘り起こして、提案して取っていくみたいな。今は一般企業じゃないですか。株式会社だからゴリゴリ営業スタイルを取れると思っちゃってたんです」
「名刺は渡すんですけど、全く売らずに、『一回お茶しましょう』『広島来たばかりで、教えていただきたいです』みたいな感じで。ちょっとずつ僕と会社を知ってもらうために時間を割いていって、ちょっとずつ広がっていきましたね。今はいろんな社長さんもいますし、すごいありがたいなと思います」
――その経験は、今にも生きていますか。
「取れなかった時の耐性みたいなものがそこで身についたんで。今ではそんなに売ってないんですよ。営業してないんですけど、お仕事をいただけたりしてて。コツコツしてきた経験があるから、今があるみたいな感じではすごい思います」

「たまに帰ると、あったかいんですよ」──地元・津山に、雇用を生む
――赤飯の事業についても、聞かせてください。きっかけは?
「そもそも僕、夢があって。岡山県津山市という地元で雇用を生みたいという夢なんですよ。もちろん道半ばの夢なんですけど」
「当時、僕、地元が嫌いだったんですよ。代わり映えしない、付き合う人も変わらない、ずっと変わらないまま年を取っていくんじゃないか、って。それで出たのもあるんです。でも、いざ出て、たまにしか帰れないようになると──たまに帰ったときにあったかいんですよ。すごいあったかいんですよ。地元はいいなってなって」
「その反面、あったお店が潰れちゃってるとか、お店が廃れていってる姿を感じて。シャッター街というか。外に出てこうやってやってるんだったら、貢献したいなと思ってて。街が活気づくには人がいないといけない。だから雇用を生むしかないと思ったんですよ」
「雇用を生みたいって最近すごい思ってて。でも、今やってるWebだと、そんなに(人手が)いらないんですよ。なんかいいのないかなと思ってた矢先、大阪の会食の場で、イベントですごく売れているおじいちゃんおばあちゃんの赤飯の話を聞いたんですよ」
「ダサいからって返答が来て」──誰もやらないなら、僕がやる
――赤飯?すごい着眼点ですね!
「話を聞いた瞬間に、待てよ、と。高齢化社会だから。若者とかファミリー向けのサービスはたくさんあるじゃないですか。でも高齢者向けの食べ物で言ったらこれだよね、っていうのがあんまりないなと思って。赤飯って、お祝いをする時の文化ですし、そもそも日本のもんなんで」
「大々的にやってる方が思い浮かばない。(先駆者に)なんでやらないんですかって聞いたら『ダサいから』って返答が来て。ダサくても儲かるならみんなやると思うんですよ。でも赤飯をやってる人が少ない。流行ってないからみんな手をつけない。これで僕がやって、『うわ、あいつなんか儲かってるぞ』ってなって、みんなやり出すと思って。ムーブメントを起こしてやろうと」
「出す場所は、神社仏閣がいいなと。一番のミソが、その場で蒸すんですよ。蒸した赤飯を開けた時の湯気と香りがとても良くて、その体験をプラスアルファで入れてます。ターゲットに刺さるような見栄えじゃないと、絶対売れないんですよ」
――仕入れにもこだわりがあるとか。
「もち米は100%、岡山の農家さんから仕入れて売っていくっていう取り組みをしていて。津山って田んぼが多いんですよね。地元の農家から仕入れれば、さらに貢献できるじゃないかと。文化も残せるから、地方創生になるじゃんって」
「来年フランチャイズにしようと思ってるんですけど、一個の絶対的なルールは、『地元の農家から仕入れてください』。全国の農家を救おうと思ったら、僕じゃ無理なんですよ。なぜなら岡山と広島しか知らないから。だったら青森の人は青森の農家さんからやればいい。これが売れれば、農家さんが潤うじゃないですか。この文化も残る。こんな面白いことないなと」
――構想からのスピードがすごいですね。
「この話を聞いたのが2ヶ月前で、もう全て準備してて。僕、こうなっちゃったら、もう一つのことにずっと(向かっちゃう)なんで」

「頑張る目的が、変わった」──フェラーリから、雇用へ
――挑戦してみて、ご自身の変化はありましたか。
「頑張る目的が変わったのが一番ですかね。最初はフェラーリに乗りたいな、この給料じゃ無理やな、って出てきたわけじゃないですか。もちろん今も乗りたい気持ちは、目標達成という意味ではあるんですけど。今は、地元で雇用のためにはどうしたらいいかな、っていう方向に変わりましたね」
応援したい人へ──販路を、一緒に
――この記事を読んで、居相さんを応援したいと思った方は、何ができますか?
「神社とかスーパーさんとか。赤飯の販路がスーパーへの誘致だったり、ブースに出したり、神社で出店したりなんですよ。そこの販路を広げたくて、そういった方をお繋ぎいただけたらすごく嬉しいです。ただ紹介してもらうだけだと一方通行になっちゃうんで、一緒にやれたらすごく嬉しい」
――お盆の期間にはイベント出店もされるとか。
「はい、イベントをしてるんで。ぜひ食べてみてください」
「なんとかなる」──挑戦する人たちへ
――最後に、同じように挑戦している人たちへ、一言お願いします。
「なんとかなる」
「なんとかなるのと、人はいつ死ぬかわからない。やりたいと思ったらやれる。やろう。なんとかなるから」
「ちゃんとやってたら、なんとかなるんです。人としてちゃんとしてたら──例えば約束を破って謝らない、とかじゃなくて、ちゃんとやってたら、誰かが救ってくれるんで。誠実に生きてる、みたいな」
編集後記
「フェラーリに乗りたい」から始まった挑戦が、いつの間にか「地元に雇用を生みたい」に変わっていた。
取材中、一番熱を帯びたのは赤飯の話でも、サブスクの話でもなく、津山のシャッター街の話だった気がします。
嫌いで出た地元が、離れてみたら一番あったかかった。
その矛盾を、彼は事業で回収しようとしている。
お盆のイベント、ぜひ赤飯を食べに行きます。
取材のご協力、誠にありがとうございました!
編集長 太田 悠斗